ポワソン夫人の冷却

ぶっちゃけなんだこの題名はとか思うのですが、君継は語感で考えて字面で考えないからこうなるとか言ってます。もっとも語呂はいいですよ。口に出してみてください。

これは通勤中に歩きながら妄想していた百合ネタが元ネタで、ヒロインの女の子が責められたりするスパイものという感じです。

で、如何に序文というかそう言ったものを載せます。序文というか前提ですか。舞台は露西亜革命時のソビエトあたりをモデルとした国を想定していますが、リサーチしていませんのでおそらくガタガタなんだろうな。

ポワソン夫人の序文

 

私の名はルーベル・マリーア・ナナリアシ・ベルカンケ。

 旧エルメスト候国ベンカンケ所領の第3位継承者。ちなみに第1位はまだ生まれぬ我が息子、第2位はまだ見ぬ我が夫だ。

 我が父にして祖父のルーベルは正直に言うとすかぬ部分はあったし、決して聖者ではなかったものの、善人ではあった。少なくとも、評議会の軍によって所領を奪われ東の平原で獄死するような悪人ではなかったと思う。

 まあ、運がなかったのだ。大首領の権威は地よりも深く失墜し、平民達の評議会とやらが力をふるう時代がやってきたのだ。地方領主などという商売は時代遅れに他ならないのだろう。

 叔父であり我が兄であるアンリにかくまわれ青の都の人混みに紛れることで私はかろうじて生き延びることができた。国に帰ることは無いのだろうと半ばあきらめている。アンリと私、そして我が姪であり妹であるヨハン・マリーア・リーリア・エヌスベラは晴れて、国を失い、所領と民を棄て、青の都の住人となった。

 平凡な小国の姫として生き、近隣の国家から婿をもらい、民と共に畑を耕し、財政を管理し国を護る。そんな生活を送るはずであった私の、波乱に満ちた半生の、これが先駆けであった。

革命暦8年 1月 青の都

 評議会の連中は寺院の暦を使うのを嫌い革命暦などと言う暦を制定したのだ。坊さん達が文句を言うかと思われたが、そんな連中ははじめから居なかったかのようにどこかへと消えてしまった。おそらく、我が父と同じ所だろう。

 兎にも角にも、我が冬の長く厳しい冬もようやく終わりを告げ、春の足音と共に氷から解放された水軍の艦船の汽笛が都に響き渡っていた。

 全くを持って忌々しい。こんな国はさっさと滅んでしまえばよいのだ。と思ったところでまた国が滅んだら今度はどこへ行けと言うのだ?所領へ?民をおいて真っ先に逃げた私が?西へ?それとも新大陸か?冗談ではない。例え所領を奪った者達の国であれ、ここが我が祖国なのだ。

 所領という概念が消失したこの国では領主という商売は成り立たず、アンリ、私、リーリアのささやかな家族は生きていくために仕事を見つけなければならなかった。

 没落貴族の商売と言えば娼婦である。華やかな衣装に身を包み代々受け継がれてきた美意識の集大成であるこの、顔を体を武器につかの間の夢と快楽を売るのである。

 冗談ではない。我が子宮にはそれこそ一国が眠っているのだ。体を開くなどもってのほかである。まして私のかわいいリーリアにそんなことさせることはできない。

 そんなこんなで小さなリーリアも交えて家族会議をしているとアンリが突飛なことを発言した。国家の公共事業の下請けをしようというのだ。

 さすがは我が父の息子だ。父に似てのんきなのだ。まあ、田舎貴族などこんなもんだろう。そして我が父にして祖父であるルーベルは命を落としたのだ。

 とはいえ、この時代、お上に対してものを売る以外に商いをすることはできない。アンリはこの広い国中に散らばった血族に声をかけあっという間に商売を立ち上げてしまった。私もこの目を疑うほどの行動力だ。

 こうしてエルメスト候国陥落から3年後の革命暦81月。暖かくなり出す陽光と、芽吹きだした草木の中で我が「ルーベル・リーリア商会」は開店したのだった。私とアンリの父であり、私とリーリアの祖父でもあるベルカンケ最後の当主ルーベルとその最愛の妻、アンリの母であり私とリーリアの祖母であるリーリアの名を取って(そう、他ならぬリーリアも彼女の名を賜っていた)我々は商いにそう名付けたのだ。その名に恥じることはあれその名を忘れることは決してないように。

 実際評議会は人手を必要としていた。ある程度優秀で、自分の意思で動くことができる人間は皆、どこかへと消えてしまうような世の中だ。ある程度自分たちから遠く、本質的には力を持たず、それで居て大いに働くことができるものは重宝される。そんな世の中だ。だからこそ我々は嘗ての家臣達の食い扶持を稼ぐことができたのだろう。

 ルーベル・リーリア商会は表向き食糧や書物を扱っていた。また、重要人物のそばで働く召使い達の仕事の斡旋も積極的に行っていた。大首領は廃止され貴族は消え、富豪は富を奪われ、評議会は平等な時代が来たと宣伝した。なんのことはない。誰がより多く持つか。そのルールが変更されたのだった。

 そしてこの時代、より多く持った者達は表通りから隠れてかつて、古い時代に我々がやった様なやり方を真似したのだ。我々から見ればはなはだ幼稚で荒削りなものだったが、表面だけでもなぞろうと必死に。

 だから、そう言う者達の召使いというのは需要のある商売だった。

 そして、そうした召使いがうっかりと聞いてしまった会話はなおさら需要もあり、貴重な宝を産むのだった。

 昨日は評議会が我々貴族を打ち倒した。だが、明日どうなっているかは誰にも分からない。だから我々は誰が勝っても生き残ることができなければならないのだ。昨日負けたのは我々だ。だからこそそれを知っている。大首領と侯主に忠誠を誓い彼らの下で生きてきた我々は人民による評議会が大首領を打ち倒したとき、登るべき階段を失い皆が最下層に落っこちた。ならば、二度は繰り返すまい。

 革命暦12年 4月 青の都

 暑い。強烈な日差しが海を刺す。故郷は深い森に覆われて、夏とはいえここまで暑くはなかった。いや、暑ければ屋敷の奥に逃げ込めば良かったのだ。広大な屋敷の奥底にはいかに強烈なこの都市の太陽といえども手は出せまい。

 我々がこの街に店を構えて2年。祖父と祖母の名を冠した我々のルーベル・リーリア商会はまずまずの繁盛具合だった。あまり繁盛しすぎると評議会の連中に何をされるか分かったものではない。少なくとも、今は彼らと剣を交える気にはなれなかった。

 アンリの提案で商会の代表者は私と言うことになった。私は現存する一族の中では最も高い継承権を持つ人間でその特別な生まれは幸福を象徴するというのだ。あの男のことだ、美人を添えておけばある程度皆が無茶を聞くとでも思っているのだろう。

 2年間である程度の利益を上げることができたので孤児院を作ることにした。ベルカンケの屋敷にも孤児院が併設され歴代の当主は近隣地域で紛争が起きたときなどは孤児を引き取り育てていた。これは必ずしも慈善というわけではなかったがそれでも多くのものが無事に育ち所領で働いたり外に出て行ったりした。私を育ててくれた乳母もそんな孤児のひとりだったらしい。寺院では慈善は美徳とされていたしそれは評議会でも同じだ。むしろ評議会はより一層それを主張する。乳母への恩返しもかねて我々も孤児院を経営することにしたのだ。

 必ずしも美徳や慈善のためではないのは貴族達の孤児院と同じだ。彼らは一族の名声や教育や快楽のために孤児を育てた。我々は商売のために孤児を育てた。と言っても人身売買は禁じられている。禁じられていないとしてもやる気にはならない。

 売春宿の経営もまっぴらだ。そんなことをしたらそこいらの没落貴族と同じだ。冗談ではない。

 我々の主たる商品である誰かの独り言や秘密の相談、それらを収穫するために我々は召使いとなりうる人材が必要だった。もちろんそんな場面でなくても彼らはよく働いてくれた。我々は雇用主に対して少々揺さぶりをかけてやればいい。そうすれば彼らも安全だった。

 こうしてルーベル・リーリア商会はこの都市に根を下ろしていった。