政治に関するブログではないのですが、今回面白い事を感じましたので。

事の顛末

児童ポルノ禁止法の改正案が提出されました。

児童ポルノ禁止法の改正案は文化の破壊や言論統制につながる恐れがある法案なのですが、そこら辺は詳しくまとめたサイトも、簡単にまとめる技術を持った方もいる上に、今回の話の趣旨からはちょっと外れるので省きますね。

どうした物かと慌ててしまったのですが、ネットで地元選出の議員さんに働き掛けるとよいよ。という話を聞き、犠遺産にお手紙を書いて見ました。

私の手紙が直接的に凄い影響力を持つわけではないのでしょうけれど、何もやらないよりは手紙の一通でもしたためたほうが気が楽です。

政治について気がついたこと

ところで今回、いくつか気がついたことがあります。

一つ目は、自民党(に限らず政党)の出した法案がいかにひどい物であっても、当の所属するすべての議員さんがそれに賛成ではないということです。当たり前ですが。

法案を提出した党の議員さんであってもアプローチする価値はあるみたいです。

もう一つは、選挙制度というのは候補や政党を選んで終わり、というわけではないということです。

こちらの方がより重要な気がしますが、マニフェストとかそういったの以外に、議員さんに「あなたの行動に関心を持っています。」というメッセージを有権者として発することができる。また、有権者、つまり次回の選挙で彼が生き残るかどうかの鍵の一部を握っている人間として要求する権利もまた持っているということです。

選挙の意味について、立法府としての国会について、公民の授業ではおそらく習わない部分です。日本の学校教育では、国家の運営者に口出ししてくるやからを育てたいとは考えて居ないのでしょう。

選挙は選んだら終わりではありません。選ばなかったら終わりではありません。

選挙用に名前が書いてあるわけでもありませんので、「私はあなたを任命した物の一員である」という気持ちを心に抱いて議員の方に一言要求する権利が民主主義国家に済む我々にはあります。

そして、私はたまたま「人権擁護」の名のもとに行われる「言論統制・思考統制・文化の破壊」の芽を見つけました。

ならば、小さい事ですが、将来の一票をにおわせて少しは影響力を行使することができるのです。

我々は民主主義国家に住んでいます。選挙が終わっても我々は有権者なのです。

少なくとも、Twitterに愚痴を書き込むよりは有意義な方法があることを、今回の児童ポルノ禁止法改正案で知ることができました。

で、そういった事を知っているのが圧力団体です。

そして、我々の敵はそういう手段があることを知っており、それによって彼らの理想を実現使用しているのです。

我々も同じ武器を持っているのです。

別に「武器をとって立ち上がろう!」とか「民衆の声を聞け!」とか言うつもりは無いんですが、憤りを感じているのなら、お手紙の一つでもできることがある。という事を知ったのはおおきいなと感じました。

政党に加入したり、選挙に立候補するだけが政治じゃないってことですね。私(有権者)はこう感じています。と議員さんにお知らせするだけだって日本を動かす力の一つにはちがいありますまい。小さくてもね。